◇本題に入る前に、今日の仕事について一言・・・
「トイレと洗面所のリフォーム工事」着工日でした。
狭い中で解体をする大工さん、水道の器具を取り外す
水道屋さん、照明器具・スイッチ等取り外す電気屋さんと
朝一番大変な現場と成りました。
リフォーム工事の初日はいつも戦争ですが、
監督は一番先に現場に行き、埃が飛ばない様に、シートで
養生、床に傷を付けない様に廊下の養生とするのです。
今日は、夕方から頭の中が、埃っぽい感じがしています。
☆スタートします。☆
今日は何の日シリーズです。
今日は赤穂浪士討ち入りの日です。
元禄15年12月14日の晩(今の時刻では15日の午前4時頃だが、
当時は明け方から一日が始まる感覚があったので14日深夜
と考える),赤穂浪士47名が吉良上野介邸に押し入り、
上野介を殺害して主君の仇討ちを果たしました。
事の発端は1年半前、元禄14年3月14日午前11時頃、赤穂藩主
浅野内匠頭が、江戸城・松の廊下で吉良上野介に斬りかかる
事件です。原因は皇室の使者を迎える準備に携わっていた
浅野は要領がわからずに吉良上野介の不興を買って馬鹿にされ
た為に、発作的にこのような愚行に及んだと言われています。
そばに居た大奥留守番役 梶川与惣兵衛にドラマで有名な
「殿中でござる!」と必死に抱き止められましたが、
上野介に背中と眉間に傷を負わせてしまいました。
その事件に激怒した徳川五大将軍綱吉がその日の内に
内匠頭に切腹を命じました。
3月19日早馬によって、切腹の知らせは赤穂に到着。城内は
家臣たちが集まり騒然とします。そして上野介はおとがめが
無かった事と赤穂藩が取つぶしに成る事が次々到着する
使者より明らかになりました。
これを不服と思う大石内蔵助ら赤穂藩の浪士が立上った訳です。
※ちなみにそろいの羽織を着て集まったとか、「山」「川」と
合言葉を使った言う話がありますが、実際は怪しまれない様に
皆ばらばらの衣装で、江戸市内の数ヶ所に分散して
出来るだけばらばらで吉良邸を目指したそうです。
中途半端ですが終了と致します。
、
投稿日:2010/12/14