戸田語録

私の人生観③ : 小学校の先生との思い出

思い出すとあの先生方との出会いがなかったら、今頃何をしていたか、どうなっていたか、私の生い立ちを見れば今の自分の生活と環境になる確率は1%とも無いと思います。もちろん私は誰にも負けない努力をしてきました。でも小学校の先生との出会いがなかったらこんな幸せな人生を歩めなかったと思います。1年生の時の担任は伊藤先生と言う気丈な女の先生でした。曲がったことの嫌いな仕事一筋で冗談1つ言えない堅物な人でした。2年の時は男性で小柳津先生でした。先生は自作の小説を連載で道徳の時間にお話を1年間してくれました。題名は「ピンコクン」だと記憶しています。いつお話をしてくれるか楽しみで学校に通っていました。私はこの年に腎臓尿毒症を患い2ヶ月ぐらい学校を休んだ記憶があります。手も足も体全体がむくみ、ダメではないかと言われたそうです。その時、毎日ある宗教家の人が私の寝床の横で毎日拝みに来てていた様です。母はわらわをつかむ思い出、いろいろ試して、最後にはどこかで聞いてきた、糸瓜の茎から水を取りそれを飲むと直ると言うんで毎日朝晩飲みました。するとむくみが引けて直ったように記憶しています。3年になった時、女の独身の渥美先生が担任になりました。身長は低く人のよさそうな先生でした。先生の家にも遊びに行ったりしました。渥美先生には大変可愛がられました。6年ぐらい前の事ですが、天竜市の商工会に講演依頼を受けて天竜に伺った時の事です。商工会の前で市長さんと商工会の幹部の方が出迎えに玄関にいました。するとその脇に背の低い老婆が「直員君かね」と声を掛けてくれました。良く見ると3年の時の担任の先生でした。静岡新聞の記事を見て、直員と言う名前はそうはない、もしかしたら教え子でいたずら小僧の直員君かと思い、一山超えて混ぜご飯の素を持ってくれました。先生せっかく来たので話を聞いていってくださいと言ったら元気な顔を見ただけ十分だと言って帰っていきました。僕が小学校の頃は麦飯に梅干1つの日の丸弁当の毎日でしたのでまだ先生はあの頃の貧しい僕をイメージしていてくれたかと思うと大きな声で「先生、今俺はまともに召し食ってるよ」と言いたかった。講演をする前なので先生とろくな話もしないで分かれたこと大変悔やんでおります。そして高学年の4,5,6年の3年間は特例かたまたまかは確認が取れないが貧乏人子のひねくれもんだったので、若くて厳しい先生が3年間ガードしてくれました。席もクラスで一番頭が良くきれいなマドンナが3年間ガードしてくれました。そのおかげで今の僕が有ることを本当に感謝しています。
日付:2005-09-28

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