戸田語録

自らを追い込む。 : 今日の最善は、明日の最善ではない

人生を振り返ってみると、ある時期まで自分の願望達成の為に我武者羅に生きてきた様な気がします。仕事にしても遊びにしてもどんな事でも、形振り構わず、周りから「もうそこらで程々にしておけ。」と言われても、目的達成のために強い意志でがんばってきました。そんな生き方なので出る杭打たれで誹謗中傷も数多くあったが、信念を曲げずにその度ごとに反省し、軌道修正をしながら頑張ってきました。また友人知人の目から見れば、私の事業内容と行動はハラハラドキドキで、能力以上の仕事をしていたのではと思います。無理な仕事を頼まれても平気で請け負って、それから必死で参考書を読んだり、人に聞いたりして仕上げてきました。金額も相手の言い値で、どんぶり勘定でした。貧困な家庭に育った私は、自分の子供には同じ生活をさせたくなかったので寝る間を惜しんで人の倍、働きました。時には寝不足の為、交通違反で罰金を支払たり、居眠り運転で追突事故を起こし、賠償金を払うための仕事をしている時期もありました。その度に夜逃げをしようかと思った時期も、何回もありました。昔から「苦労は買ってまでせよ。」と言われ、これでもか、これでもかと自らを追い込んでがんばってきた結果が、やっとこの歳を迎え人様と同様の生活が出来るようになりました。最近の多くの若者は、育ちも良く何の不自由もないけど、難題にぶつかるとそこからすぐ逃げてしまいます。勿体無いことです。私はその度に「神様はその人が越えられる、邪魔しかしない。」「神様は意地悪もするけど、贈り物もくれる。」と言う先輩たちの教えを、事のあるごとに逃げない精神でがんばってきました。中村天風さんは、積極的精神のことを「絶対的な積極。」と説いています。江戸時代の寺子屋のように子供のころから、生き方を聞かせる場所があれば、明治維新のような大変革が出来るのではと思います。
日付:2009-05-11

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