戸田語録

私の人生観⑩ : 積もった因果が50代8年間を反省の期間に

49年間波乱万丈の人生を暮らしてきました。子供の頃の思い描いた通りになりました。いい気持ちで田舎の成功者を演じ始めた頃、1年1回の人間ドックの検査で悪性の癌が見つかりました。40歳を過ぎた頃から友達の誘いで京セラの創業者稲盛和夫の勉強会である盛和塾に入会をさせていただき講話を聴くたびに自分の人生の生き方考え方の反省をしその都度軌道修正に努めてまいりました。その最後の因果が神様が与えてくれた悪性の癌であったのではないかと思います。それまでの人生を振り返り、事業欲と闘争心だけで回りのことなどほとんどかまわず、利己の事しか考えずに商売をして来た人生の結果だと思いました。今までにも何回も死に目に会ってきましたが、この時ばかりは「なぜ俺が」、最近は仏心もつき始め儒教の勉強したり、社員の物心両面での幸せも考え行動に移しているのに、こんな大病になるなんてと思いました。毎日寝る前に病院のベットで今までの人生を反省するやら泣けてくるやら悔しくて悔しくていっぱいでした。そんな時家族が見舞いに来てくれて励ましてくれる事が僕の気持ちを落ち着かせてくれました。それと同時に素直な気持ちで残された少ない時間、自分にとって最高に生きようと思うようになってきました。退院後一番最初に社員の幹部10人を自宅に呼んで、あと残された命が2、3年である事を告げ僕の本当の思いを聞いてもらいました。最初に仲良くチームワークで会社を経営して言ってもらいたいお願いをしました。それからお客様が心配するから絶対に病気のことは外部に洩らさない様に、後継者は妻に暫らくやってもらいたい事などを酒を飲みながら話をしました。それからの僕の行動は会合や研修は妻といつも同行出席しました。回りの人達は全員気が病気の事は付いていたと思うが、自分は知られていないと思い続けました。この気持ちは同じ立場になって見ないと解らないと思います。それから5年間抗がん剤を朝昼晩3回の飲み続けることになりました。4分の1しかない胃袋と胆のう、十二指腸の無い、僕の半端な身体と薬の副作用は、キツイ毎日でした。3年目には行った頃食道と大腸にポリープが転移しました。いよいよだと思いお墓のよういや会社の後始末など、忙しくなりました。もうその頃には死の恐怖感などは有りませんでしたが、会社を去ることの方が辛かったのです。会社の成長を止めて決算書の内容重視して、後経営をしていき易くする様にシフトして無借金経営になりました。地元企業ではトップクラスになり同業者ではダントツになりました。前から少しずつボランテアで始めた高校生の講演活動も限られた時間を有効に生かすために頼まれた講演は1つ返事でお受けしました。また私が主になり立ち上げた異業種100社の勉強会も中身を向上させながら継続していく事に力を入れ初めました。回りの友人の支えや社員の理解で最良な毎日を過ごしていました。そんな時毎月1回の検査に病院に行くと先生が良性になったよと報告があり、きっと妻と話をして最後の慰めにと思い家族と先生に感謝しました。でも少しホントかなとは思いながら1年間は信用できませんでした。それから抗がん剤を5年間飲み先生の許しで止めました。早いもので今年で8年目を迎えました。長いようで短い50代を生き過ごしました。これで神様私の過去すべての利己心をお許しくださいと願う今日この頃です。病気になった1年目に稲盛塾長に報告したら一言「信仰せんかい」でした。それから毎月墓参りとお宮参りは欠かさない様にあの悪夢を毎月1回初心戻っています。
日付:2006-02-28

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