戸田語録

採用活動を振り返って : 大家族主義で会社を経営する事を基本に

会社経営の中で一番大事な要素は、創業当時から人材だと思って採用活動に力を入れてきました。創業当時は、設備業といっても、無臭トイレの埋め込みや給水管の引っ込みの為の穴掘りや、仕事がないときには、家の解体工事、スズメの巣を取る事や、人が嫌がる仕事などを手掛けていました。勿論私自身が先頭を切って現場を仕切っている状態でした。私が現場回りをしないと仕事中にパチンコやへ行ったり、オートレースに行ったりで社員のモラルの悪さは計り知れないものでした。忘年会や新年会などは宴席のあちこちで喧嘩が絶えませんでした。時には僕の所まで喧嘩を売ってくる始末でした。こんな事をしていたら、会社は伸びてもとんでもない方向に行ってしまう、何とかしなくてはと思い、本を読んだり人に聞いたりして、試行錯誤をくりかえしながらある程度までは、社員のレベルも上がって来ましたが、僕自身が人の上にたって経営をすることの重大な責任について根本的に、解っていことに気付きました。そこで前から付き合いのあった経営コンサルタント会社の先生に相談し、会社の分析を依頼する事にしました。その答えが社員教育でした。ずいぶんお金が掛かるようでしたが、思い切って導入する事にしました。分析をして行けばして行くほどに、社員と自分との絆は仕事で通じて勤務していたのではなく、格好よく言えば「義理と人情・男と男」の繋がりであったようです。若いうちは面白おかしく、この会社に勤務して、年が来たらその時は、その時と思っている連中がほとんどのようでした。先生の分析後の指導は、僕自身が経営者としての基本と考え方を勉強する事、社員は就業規則を基本に挨拶やマナーをまもり、免許を取って、職人から技術者に変わる事でした。1年経つとほとんどの社員が社員教育や会社の方針について行けなくて退職して行きました。この時期は人集めに大変でした。入社しては辞める繰り返しでした。途中で社員教育を止めようかと思いましたが、これを止めたら次はないと先生に言われ、社員に厳しくなればなるほど、退職者が出てきました。そんな事をしているうちに、社員のレベルは向上して、学歴的にも家柄的にも人間的にも僕より立派な人が定着して来ました。そんな時先生がこの時こそ新卒を採らなくては、もう一歩成長しないと指導が有りました。口で言うのは安い事だがいざ採用しょうとするとこれが大変な事でした。会社の福利厚生やパンフレットなどを整えて、リクルート業者を選定をしてガイダンスに参加したり、新聞掲載を依頼をしたりして、大変多くの予算を採用活動に使いました。その頃の会社にとっては大変な投資金額でした。そして社内に人事課を作り、1年中求人活動をして行かないと、学生は振り向いてもくれません。1年後に採用する為に1年前の4、5、6月は、ほとんどが東京、名古屋の大学や短大、専門学校に、我が社に入社希望がないのが解っていても、菓子折りやお茶を持って、就職相談室に通いました。まだ掛川に新幹線も止まっておらず。静岡から新幹線に乗り換えて、上京しました。これを毎年繰り返し続けて約6年経ち、やっと新卒の専門学校生が一人採用できました。それから22年、求人の仕方は変わったものの、今も採用活動に一番の力を入れて頑張っています。その御蔭で社員の出入りは少し、他社より多いものの、着実に社員のレベルアップに繋がり、業績もアップしています。僕は社員にいつも言うのは「毎日毎日、自分の環境を変えて成長をして貰いたい」そして「素晴らしい仲間と素晴らしい人生を送って貰いたい」その様なチャンスを常に、社員に与える努力をする事が僕の使命だと思います。
日付:2007-02-24

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