私は、61年の人生と40年の会社経営を振り返ると変革時に起こる修羅場でいろんな経験や体験をしてきました。その度に数多くの失敗や反省をしながら、身に付けた生き方の一つに、あまり気張らずに生きていく方が自分の目標達成のためには楽だと思い、自分なりにキャラクターを作り、その機会の度に要領生きて来た様な気がします。役者が良く自分の役に入り込むと、自分の性格だか配役の性格なのかと、解らなくなるほど役にはまり込んでしまうと良く聞きます。私も志を全うする為に、時折々にその場に合ったキャラクターを演じながら、流転の人生を送って来たように思います。最近講演会時の私の紹介で「チンピラ親爺」とか「田舎のプレスリー」、ある時は「地元の小成功者」といろんな紹介をされます。自分なりに笑い飛ばしながらも何か悪い気持にはなりません。それは、きっとない無いずくしのなかから企業を立ち上げた私にとって、後戻りが怖く自分自身がその様なキャラクターと自覚して、演じてきた結果だと思います。私は現在の様な生活を送る為に若い頃から、自分なりに人生を描き多くの学びをして、石橋をたたいて人生を歩んできました。もし人生を2回、3回繰り返すことが出来るとしたら、だいぶ違った(恰好の良い)生き方も出来たと思います。人生を振り返り大きな反省と悔やみは残るが、納得して生きて来た私にとっては、この人生しか選択肢がなかっただろうと思います。孔子は60歳を迎えると「耳従う」つまり何を聞かれてもその判断の是非が判別できると仰っているのは、孔子も野合の子と言われ育ち、流転の人生を送って来た数多くの経験が、多くの書生や歴史上の人物が師と仰いだと感じます。私の今後の人生の目的の一つには、家族を始め社員や後輩達にたった1度の人生を「恰好良く」生きて頂けるようなお手伝いが出来たらと思っています。
日付:2009-11-27
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