私は、ある時期まで、謙虚なんてこの言葉の気づきもなく生きてきました。謙遜する人は世の中には数多くいるが、謙虚さをもち合わせている人は少ないように感じます。私の育った環境は「人柄、家柄、学歴」で、他の人と比べるとだいぶ劣っていて、謙遜(能力や価値を低く評価)できるほどの価値など持ち合わせていませんでした。家柄の良い人は金銭に余裕があり、心も豊かで人柄も良く、学歴をつけるにも好条件です。私の僻みでしょうか、私の将来夢は普通の生活を送りたくて、自らを苦労の中に追い込んで夢を叶えよう、そして謙遜できるような人間になりたいと志をもって頑張ってきました。最近いろんな学びやボランテャ活動する中で、謙遜とは一歩誤れば卑怯な手段になり、自己の安楽をはかって、責任を回避するために安全な場所に身を置くようになり、責任ある仕事から逃げて、折角生まれ持った素晴らしい能力を世の為、人の為に奉仕出来ないことがあります。この様な行動は世の中にとって大きな損失だと思います。今日の社会は生活に余裕が出来たり、人生での実績が残ると、色々な役職や公職の依頼を頼まれたりします。その時に一番気お付けなければいけないことは、ステージの違う目線から、身勝手に誤解されたり、また相手が自分を信用してくれていると思い、身勝手に誤解して傲慢不遜から、物事を見るようになり、謙虚さを忘れ驕り高ぶってしまうこともあります。会社が世間に認め始めると、周囲の人はその人自身の人柄よりも、会社の名前や地位に敬意をし始めてくるので、自分の謙虚さを忘れて傲慢になることがあります。人間の心は年をとるにつれて、生きていく上でのアカがたくさん付着してくるようです。孔子は論語の中で「子曰く、君子泰かにして驕らず。小人は驕りて、泰ならず。」と言っております。どうも私は、君子になったり、小人になったりで、反省
日付:2009-07-06
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