私は18歳で菓子製造卸業を一人で創業し、1年後交通事故で廃業する羽目になった。真面目に毎日コツコツ積み上げた1年が何だったのか神様を恨んだものでした。そして暫くヤンチャな暮らしを過ごし始め、この道で人生をと思った時期もあったが、小さな頃の夢である「金持ちになりたい。同級生に負けたくない。」を思い、もう一度お菓子屋開業に挑戦する事にしました。開業したものの店舗の立地が悪く生活するのが目一杯の状態で、売れない暇な時には土方仕事の手伝いと二重生活をしていました。そんな時に自分のヤンチャな性格は建設業に向いているとふと思い、子供が生まれたのを境に建設業界に転業する事にしました。今思えば技術もお金も人間としての信用も無く、感と度胸だけで始めた建設業を今日の会社までにして頂いたのも、みなさんのお陰だと感謝しています。ある時波乱万丈な人生を送っている若い私に、行政の指導員や商工会議所など多くの団体に講演を頼まれる様になり、地方紙に掲載され始め講演会参加者からは「話を聞くと元気が出る」と口コミで拡がり講演依頼が殺到し始めました。先生と呼ばれる様になり、このままでは「多ホラ吹き」になってしまうと思い、講演で大きな風呂敷を広げては会社に帰り、必死に結果を出す様に頑張りました。経営結果だけでなく人間的にも成長をと、論語をはじめ、中国古典や仏教書など読みあさり、自から東京や名古屋などに講演を聞きに行き、心を高める学びの量を積み重ねていきました。講演依頼先も中学や高校、大学まで幅が広がり、自分の行動への責任感は時が経つほどプレッシャーになり、自から生活習慣を変えて行く努力もしました。創業当時、何も解らず図面と発注書だけをいただき、夜が開けるまで参考書を見て理解して、そのまま寝ないで現場に向かった事、社員といえば私と似たかよったかの愚連隊の集まりで頑張って来れたのは、講演会の講師依頼をして頂いた担当者や講演会参加者の皆さんが講師の私を育てて頂いたと、今振り返ってみて感謝しています。
日付:2011-09-19
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